mixi の三国志コミュニティで、「最強・最人気コンビ」というトピックが上がっていました。要は、三国志でお気に入りのコンビは何?という質問ですね。

いろいろな回答が出ていましたが、孫策・周瑜というコンビが出たときに、「周瑜って強いの?」という質問が出ていました。うーん、一騎打ちならともかく、軍を率いては三国志最強の武将のはずなんだけどな~・・・。

まぁ、周瑜の能力が疑問視されるのも無理はありません。三国志と一言で言っても、演義と正史のどちらに依って話すかで変わってきますから。周瑜最大の見せ場である赤壁の戦いは、演義では彼の能力というよりも、諸葛孔明の能力で曹操に勝ったように描かれています。

そこで、周瑜の凄さについて語ってみます。

■ ところで、周瑜って誰?
三国志における呉の軍師で、(孫堅)、孫策、孫権に仕えた人物。美男だったらしい。

■ 王佐の才(from 蒼天航路)
呉は、国主が非業の死を遂げることが多くありました。主要な国主である、孫堅、孫策、孫権のうち、天寿を全うしたのは孫権だけなのです。

孫堅が死んだときは、呉の国(当時は呉とは呼ばれていなかったので孫一党とでも呼ぶべきか?)は滅びてしまいます。国の地盤が固まっていなかった(というか実質なかった)こともありますが、孫策が幼く、それを補佐する人物がいなかったためでしょう。

孫策が死ぬと、呉はまだ幼い孫権に引き継がれます。乱世ですから、そのまま国が滅びてもおかしくはないのですが、呉はそのまま存続します。国の地盤がある程度出来上がっていたこともありますが、周瑜、張昭、張紘といった主を補佐する人材の力が大きかったのだと思います。

■ 曹操と周瑜
周瑜といえば、赤壁の戦いでしょう。戦力比は 3 倍から 10 倍とさまざまな説がありますが、圧倒的な大軍を率いる曹操を、周瑜はほとんど単独で打ち破ってしまうのです。演義であれば、孔明が大活躍しますが。
赤壁の戦いに勝利したことで、周瑜は呉の領土を大幅に広げ、三国鼎立の礎を築きます。

演義のおかげで、曹操が過小評価されてしまうのですが、まず曹操は天才的な武将(というか武将の枠に収まらない人物)で、他に歴史上に例を求めるとすれば、カエサルとか信長とかを思い浮かべるべき人物です。曹操と敵対したものは、基本的に滅びています。それくらい強いのです。その曹操と互角以上の戦いを繰り広げた周瑜というのは実は凄い武将なのです。

もっとも、周瑜は天下三分ではなく天下二分を狙っていたようです。しかも、それは実現可能なところまでいったのですが、周瑜が病死(35、6 じゃなかったかな)してしまい、彼の戦略は幻のものとなってしまいます。天下二分の計が実現していたら、迅速に戦乱が終わり、平和が訪れていた可能性も高かったと思います。

■ 孫策・周瑜コンビは?
確かにこのコンビだと、周瑜はあまり目立たないんですよね。(--; 孫策が凄すぎる(※)ことと、多分、周瑜の才能が発揮されたのは、孫策の死後だからなのでしょう。それでも、30 代半ばにして、呉軍の頂点にいたわけで、並みの才能ではありません。

※ 孫策は、楚漢戦争における最強の武将覇王項羽にちなんで、小覇王と呼ばれるほどの武将だったらしい。項羽は呂布みたいなものです。

■ 補足
演義ってなに? 正史ってなに? という人のために、軽く解説しておきます。三国志演義とは、中国と民間伝承(講談)などを集めてきて、羅貫中がまとめたもの・・・ということになっています。実在する人物かどうかも良くわからないので、演義は民間伝承を集めて歴史とくっつけた小説くらいの理解で良いでしょう。三国志正史は、陳寿という人がまとめた歴史書です。こちらのほうが史実に近いと思われますが、勝者の歴史(魏主体)であることと、陳寿は蜀の人物である(蜀に対するシンパシーが若干感じられます)ことの二点を考慮する必要があります。

■ まとめ
というわけで、周瑜って結構凄い武将なんですよ。最近は、周瑜を評価した書籍や漫画もおおいので、過小評価している人って減ってきていると思いますけど。

Posted by あかさた
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