天才機関説と未踏の次 - 雑種路線でいこうというエントリは大変考えさせられたので、コメントします。
天才機関説と未踏の次 - 雑種路線でいこうより
未踏コミュニティの連中は流石に業界耳年増になっているから、あまり大企業志向を感じない。Google幻想とかは結構あるようだけど。ただ彼らが工房のような身軽なベンチャーを立ち上げるのも、結局のところこれまでのような生活を続けたいっていう保守性からきているのではないか、と感じることもある。会社を大きくすると、自分のやりたいことできなくなっちゃうよね、僕が豊かに暮らしていく分には効率的な働き方だってあるからね、と。
まぁ、私は 20:80 で分ければ 80 の側に入るクチなので、未踏でくくられてもいまいち実感はありません。事実、上記の記事に対応するのはスパクリクラスの人でしょう。しかし、上記は自分のメンタリティと関係する話だと感じました。
未踏出身者は何百人もいるので、勉強会などに行くとかなり高い確率で顔を合わせることになります。話を聞く限りでは、未踏のネタを事業化して成功させた例は、ゼロではないにせよあまりないようです。死の谷どころか魔の川を越えることも難しいというのが、私の印象です。しかしながら、未踏採択者本人は「自分のやりたいこと」を仕事にすることには成功しているようです。
未踏出身者として言っていいことかわかりませんが、今のところ未踏という制度が採択者本人を大きく超える範囲で世の中に貢献するケースはそれほど多くなく、「
採択者当人の閉塞感を打開する」という状態にとどまっているようです。いや、私がお世話になった千葉先生配下のプロジェクトだけでも、「YARV は?」「Mayaa は?」「Tuigwaa は?」「SE-PostgreSQL は?」と世の中に貢献しているプロジェクトはたくさんあります。
もちろん、
Kodougu も世の中に貢献していくつもりです。
でも、未踏を始めた時に、製品とは別の方法でも世の中を変えていきたいという思いもありました。
平凡なエンジニアが未踏ソフトウェア創造事業をやったらどうなるのか書いてみたはまさにその意図を持って書いたエントリでした。たとえ、20:80 の 80 の側だったとしても挑戦する道はあり、突き抜ければこの閉塞感を打ち破れると書いたつもりでした。
が、未踏が終わって 4 か月。上記の記事を読んだらあまりにも自分にあてはまります。「自分さえよければいいから、今のままでいいや」などという心の声が聞こえてきそうです。
日本の IT 業界については、泣き言を言っても始まらないし、大上段に構えたからと言ってすぐに何かが生まれるわけでもないと考えています。ただ、私にとって「未踏の次」とは、世の中と向き合うことでなければならないなと強く感じました。